子どもの頃、マンションの12階に住んでいた。
埼玉県の郊外にある我が家。ベランダの眺めは、都心のマンションのそれとは違って視界がひらけており、「この街を一望している」という感じだった。
その景色の中で、ひときわ目立つ存在の家があった。
その家は黄色い外壁で、その黄色が薄い黄色とか渋い黄色とかではなく、黄色の折り紙のような黄色で、地味色の家々が並ぶ辺鄙な住宅街では、輝くように目立っていた。「黄色い家」といえば、近所の人はみんなわかるという、ランドマーク的な存在。正直、あまりセンスがいいとは思えなかったし、「変わっている」という印象だった。別に変な噂があったわけでも無いのに「黄色い家」にはきっと変わった人が住んでいるのだろうと思っていた。
黄色い家にはその色以外にもう一つ変わっているところがあって、家の前の通りを行く人みんなが見えるように、門のところに”NO WAR”と書かれたタイルが嵌めたれていることだった。
タイルの色は白で、星の王子さまが描かれていた。小惑星に佇む王子さまか、渡り鳥を使って小惑星を飛び立とうとする王子さまか、イラストはどのシーンのものかは忘れたが、”NO WAR”の文字ははっきりと覚えている。
特徴もなく、大きな事件も無い、静かな街。そこに、突如として目に入る”NO WAR”の文字。英語のその文字の意味がわかるようになって、「あぁ、やっぱり変わっている」と感じた。これは嘲笑的な意味である。
私が小学生の時に、日本は戦後50年を迎えた。小学生にとっての50年前ははるか昔のことで、戦争教育はそれなりに受けてきたが、白黒の写真や映像と50年という年月は私と戦争の距離を遠くした。
その当時も世界には戦争が存在していたが、電子機器・通信機器が発達しておらず、今のように戦場の写真や動画がリアルタイムでネットに流れてくるという環境になく、戦争というのは、遠い昔の人たち、遠く離れた国の人たちのものだと思っていた。
平和憲法、非核三原則…日本は戦争をしない国、戦争に関わらない国だと思っていた。
”NO WAR”
私はその文字が読めても、その本当意味はわかっていなかった。
その言葉を掲げる意味、その言葉を発する意味をわかっていなかったと思う。
2022年にロシアのウクライナ侵攻が始まり、終戦への道筋が見えない中、2023年にはイスラエルからパレスチナガザ地区への激しい空爆が始まった。
国境線で分けられていても世界は繋がっていて、今にも崩れそうなバランスで国際社会は成り立っている。
日本も私個人も世界のつながりやバランスから逃れることはできず、実際に戦争をしていなくても、関わっている、加担している現実を知った。
そうすれば私も、その言葉を掲げずには、発せずにはいられなかった。
集会、デモ行進、スタンディングに参加し、声を上げた。
今の私が”NO WAR”と掲げた人や家の前を通ったら、心の中で「👍」を送るし、もしかしたら直接伝えるかもしれない。
この世に戦争がある限り、戦場にいなくても誰もが戦争の中にあり、戦場にいない私たちが声をあげ互いに鼓舞し合うことの意味を、深く感じているからだ。
思い出の中のあの黄色い家にも「👍」を送っている。