お取り扱い書籍のご案内(2024/1/20update)

路上の本屋のお取り扱い書籍リストです。
ご来店時に売り切れになっている可能性もありますので、ご了承ください。

親切で世界を救えるか-ぼんやり者のケア・カルチャー入門-
堀越 英美:著

クルドの食卓
中島 直美:著

安楽死を遂げるまで
宮下洋一:著

「自傷的自己愛」の精神分析
斎藤 環:著

あなたのルーツを教えて下さい
安田菜津紀:著

よるべない100人のそばに居る。-〈救護施設ひのたに園〉とぼく-
御代田 太一:著

カウンセラーはこんなセルフケアやってきた
伊藤絵美:著

ネット右翼になった父
鈴木 大介:著

女ことばってなんなのかしら?-「性別の美学」の日本語-
平野 卿子:著

わっしょい!妊婦
小野 美由紀:著

時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。
和田靜香:著 小川淳也:取材協力

選挙活動、ビラ配りからやってみた。「香川1区」密着日記
和田靜香:著 小川淳也:取材協力

今日は誰にも愛されたかった
谷川俊太郎、岡野大嗣、木下龍也:著

水上バス浅草行き
岡本真帆:著

天才による凡人のための短歌教室
木下龍也:著

安楽死を遂げるまで
宮下洋一:著

差別はたいてい悪意のない人がする
キム・ジヘ:著 尹怡景:訳

学びのきほん 自分ごとの政治学
中島 岳志:著

学びのきほん フェミニズムがひらいた道
上野 千鶴子:著

天皇家の恋愛-明治天皇から眞子内親王まで-
森 暢平:著

CHOICE 自分で選びとるための「性」の知識
シオリーヌ(大貫詩織):著

「死刑になりたくて、他人を殺しました」 -無差別殺傷犯の論理-
インベカヲリ★:著

日本で生きるクルド人
鴇沢 哲雄:著

新しい声を聞くぼくたち
河野 真太郎:著

となりのアブダラくん
黒川 裕子:著

「ナパーム弾の少女」五〇年の物語
藤 えりか:著

ひとり暮しの戦後史-戦中世代の婦人たち-
塩沢 美代子、島田 とみ子:著

生き延びるための思想 新版
上野 千鶴子:著

伝記を読もう 荻野吟子-日本で初めての女性医-
加藤 純子:著

告発と呼ばれるものの周辺で
小川 たまか:著

きらめく拍手の音-手で話す人々とともに生きる-
イギル・ボラ:著 矢澤 浩子:翻訳

あたらしい憲法草案のはなし
自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合:著

国籍の?(ハテナ)がわかる本-日本人ってだれのこと? 外国人ってだれのこと?-
木下 理仁:著

中学生の質問箱 障害者ってだれのこと?-「わからない」からはじめよう-
荒井 裕樹:著

ちくまQブックス 法は君のためにある-みんなとうまく生きるには?-
小貫 篤 :著

ちくまQブックス 生命倫理のレッスン-人体改造はどこまで許されるのか?-
小林亜津子:著

ちくまQブックス きみの体は何者か -なぜ思い通りにならないのか?-
伊藤 亜紗:著

「個」のひろしま-被爆者 岡田恵美子の生涯-
宮崎 園子:著

ヘイケイ日記 -女たちのカウントダウン-
花房 観音:著

フェミニズムに出会って長生きしたくなった。
アルテイシア:著

誤解だらけの沖縄・米軍基地
屋良朝博:著

「カルト」はすぐ隣に -オウムに引き寄せられた若者たち-
江川 紹子:著

「ことば」に殺される前に
高橋源一郎:著

私がフェミニズムを知らなかった頃
小林エリコ:著

「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし
一橋大学社会学部加藤圭木ゼミナール:著 加藤 圭木:監修

愛と家事
太田 明日香:著

「自分らしさ」と日本語
中村 桃子:著

はたらかないで、たらふく食べたい-「生の負債」からの解放宣言-
栗原康:著

辺野古入門
熊本 博之:著

ぼそぼそ声のフェミニズム
栗田 隆子:著

トランスジェンダー問題-議論は正義のために-
ショーン・フェイ:著 高井 ゆと里:翻訳

傷を愛せるか 増補新版
宮地 尚子:著

10代から知っておきたい あなたを閉じこめる「ずるい言葉」
森山至貴:著

戦争が立っていた -戦中・戦後の暮しの記録 拾遺集 戦中編-
暮しの手帖編集部:編

言葉の展望台
三木 那由他:著

女を書けない文豪(おとこ)たち-イタリア人が偏愛する日本近現代文学-
イザベラ・ディオニシオ:著

オスとは何で、メスとは何か?-「性スペクトラム」という最前線- 
諸橋 憲一郎:著 

子どものことを子どもにきく-「うちの子」へのインタビュー8年間の記録-
杉山 亮:著

大人だって、泣いたらいいよ-紫原さんのお悩み相談室-
紫原 明子:著

いらねえけどありがとう-いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術-
村井 理子:著

味・香り「こつ」の科学-おいしさを高める味と香りのQ&A-
川崎 寛也:著

日本に住んでる世界のひと
金井 真紀:著

香川にモスクが出来るまで
岡内大三:著

食べるとはどういうことか-世界の見方が変わる三つの質問-
藤原辰史:著

日本語の発音はどう変わってきたか-「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅-
釘貫亨:著

ALLYになりたい
小島 あゆみ:著

ほんのちょっと当事者
青山ゆみこ:著

ルポ 死刑-法務省がひた隠す極刑のリアル-
佐藤 大介:著

世界とであうえほん
てづか あけみ:イラスト

男の子は強くなきゃだめ?
ジェシカ・サンダーズ:著 ロビー・キャスロ:イラスト 西田 佳子:翻訳

いろいろいろんなかぞくのほん
メアリ ホフマン:著 ロス アスクィス:イラスト 杉本 詠美:翻訳

女の子がいる場所は
やまじえびね:著

泣きたい夜の甘味処
中山 有香里:著

黄色い家と“NO WAR“の意味を知った私と

子どもの頃、マンションの12階に住んでいた。
埼玉県の郊外にある我が家。ベランダの眺めは、都心のマンションのそれとは違って視界がひらけており、「この街を一望している」という感じだった。
その景色の中で、ひときわ目立つ存在の家があった。

その家は黄色い外壁で、その黄色が薄い黄色とか渋い黄色とかではなく、黄色の折り紙のような黄色で、地味色の家々が並ぶ辺鄙な住宅街では、輝くように目立っていた。「黄色い家」といえば、近所の人はみんなわかるという、ランドマーク的な存在。正直、あまりセンスがいいとは思えなかったし、「変わっている」という印象だった。別に変な噂があったわけでも無いのに「黄色い家」にはきっと変わった人が住んでいるのだろうと思っていた。

黄色い家にはその色以外にもう一つ変わっているところがあって、家の前の通りを行く人みんなが見えるように、門のところに”NO WAR”と書かれたタイルが嵌めたれていることだった。
タイルの色は白で、星の王子さまが描かれていた。小惑星に佇む王子さまか、渡り鳥を使って小惑星を飛び立とうとする王子さまか、イラストはどのシーンのものかは忘れたが、”NO WAR”の文字ははっきりと覚えている。
特徴もなく、大きな事件も無い、静かな街。そこに、突如として目に入る”NO WAR”の文字。英語のその文字の意味がわかるようになって、「あぁ、やっぱり変わっている」と感じた。これは嘲笑的な意味である。

私が小学生の時に、日本は戦後50年を迎えた。小学生にとっての50年前ははるか昔のことで、戦争教育はそれなりに受けてきたが、白黒の写真や映像と50年という年月は私と戦争の距離を遠くした。
その当時も世界には戦争が存在していたが、電子機器・通信機器が発達しておらず、今のように戦場の写真や動画がリアルタイムでネットに流れてくるという環境になく、戦争というのは、遠い昔の人たち、遠く離れた国の人たちのものだと思っていた。
平和憲法、非核三原則…日本は戦争をしない国、戦争に関わらない国だと思っていた。
”NO WAR”
私はその文字が読めても、その本当意味はわかっていなかった。
その言葉を掲げる意味、その言葉を発する意味をわかっていなかったと思う。

2022年にロシアのウクライナ侵攻が始まり、終戦への道筋が見えない中、2023年にはイスラエルからパレスチナガザ地区への激しい空爆が始まった。
国境線で分けられていても世界は繋がっていて、今にも崩れそうなバランスで国際社会は成り立っている。
日本も私個人も世界のつながりやバランスから逃れることはできず、実際に戦争をしていなくても、関わっている、加担している現実を知った。
そうすれば私も、その言葉を掲げずには、発せずにはいられなかった。
集会、デモ行進、スタンディングに参加し、声を上げた。

今の私が”NO WAR”と掲げた人や家の前を通ったら、心の中で「👍」を送るし、もしかしたら直接伝えるかもしれない。
この世に戦争がある限り、戦場にいなくても誰もが戦争の中にあり、戦場にいない私たちが声をあげ互いに鼓舞し合うことの意味を、深く感じているからだ。
思い出の中のあの黄色い家にも「👍」を送っている。

大椿ゆうこ国政報告会inさいたま開催!

国会議員と話そう 社民党副党首 大椿ゆうこ国政報告会inさいたま 2024.2.10 路地裏garageMarket

この度、いつもお世話になっている路地裏ガレージマーケットさんで、社民党副党首大椿ゆうこさんの国政報告会を行うことになりました。
大椿さんの国政報告会は、埼玉県での開催は初となります。
関西を拠点に活動されている議員のため、関東での報告会は貴重な機会です。
ぜひ、ご参加ください。
さいたま市外、埼玉県外からのご参加も歓迎いたします。

【開催概要】

2024年2月10日(土) 10:00~12:00(9:45入場開始)

参加費
500円(会場費その他経費として)
※高校生以下、障がい者とその介助者1名まで無料(要障害者手帳提示)

参加資格
「社会をもっと良くしたい」と考える方でしたら、どなたでもご参加いただけます。支持政党や政治の知識は問いません。
お子様連れも大歓迎です。
UDトークや車いすエリアなどの準備も対応可。
お手伝いが必要な方は、お手数ですがお申し込み時にフォームに内容の記載をお願いします。

参加方法
会場準備の都合であらかじめ専用の予約フォームから参加申し込みをお願いします。

大椿ゆうこ国政報告会inさいたま 参加申し込みフォーム
https://forms.gle/DPMhGR9ncSpXdTfg8

会場
路地裏GarageMarket(〒338-0013 埼玉県さいたま市中央区鈴谷7-7-3)
https://www.rojiuragarage-market.com


路地裏GarageMarketは材木店の倉庫を改装した常設のマルシェ&イベントスペースです。
ごはん、おやつ、野菜、ドリンク、クラフト作品、雑貨、リラグゼーション、占いなど、『こだわりの小商い』が集まります。
会場内には飲食スペースもございますので、国会報告会終了後もランチやコーヒーを楽しみながら、ゆっくりとした時間をお過ごし下さい。


【電車の場合】 JR埼京線 与野本町駅 徒歩13分
【バスの場合】 JR京浜東北線 北浦和駅より 「鈴谷大かや前」停留所下車 徒歩3分
【車の場合】 専用駐車場はありません。近隣のコインパーキングをご利用下さい


【大椿ゆうこってどんな人?】

クビを切られた元・非正規労働者!
ロスジェネ世代で、大学卒業後は非正規労働をかけもちしながら生活。関西学院大学に就職するも、有期雇用を理由に雇止めに合い、原職復帰を求め3年9ヵ月のあいだ労働組合で闘争しましたが復帰はかないませんでした。その経験が現在、大椿さんが政治に取り組む原動力となっています。労働者の使い捨てを許さない。いまの働き方を変えるために、国会議員として奔走する労働者の味方です。

マイノリティとともに
生まれた時から全盲の祖父とともに暮らし、現在は66ヵ国の人々が暮らす日本最大のコリアンタウンで生活しています。
包括的差別禁止法の制定を目指し、国会で、路上で、SNSで、性別、障害、セクシュアリティ、国籍、出身、民族など人々を分断するあらゆる差別と闘っています。

保護猫と暮らす愛猫家

国会議員としての忙しい毎日を癒してくれるのは、保護猫のロラとモモ。
2匹は大椿さんのSNSにもたびたび登場するので猫好きは要チェック!

プロフィール
大椿ゆうこ(おおつばきゆうこ)社会民主党副党首。
2023年4月参議院議員にくり上がり初当選。
自らが解雇された経験から、労働 組合で非正規労働者の権利獲得のため活動。国会議員としても、労働・雇用問題に取り組んでいる。

映画『窓ぎわのトットちゃん』感想文

映画『窓ぎわのトットちゃん』を観てきた。
正直、観るつもりは全く無かった。
予告映像を見た印象では「ヘテロラブロマンスを匂わせる子どもの友情を描いた作品でしょ?」と思ったし、キャラデザも好みではなく、むしろ「ヘテロラブロマンスを匂わせる子どもの友情」を描いている(ように見える)限りは顔や体の一部が妙に紅潮した表現は気持ち悪く感じた。
しかし、観た人の評価が軒並み高く、「じゃ、まぁ行ってみるか」と心を入れ替えて観に行ってみた。
結果、観てよかったと心から思っているので、せっかくだから感想文を書いてみた。

まず、作画が素晴らしい。
アニメをあまり観ない私でも、始まってすぐ作品性の高い映画であることがわかる。
背景が美しく、毎秒絵画を観させられているようで眼福。
作品内で3箇所現れるイメージシーンも、それぞれが魅力的で、芸術的で素晴らしい。
随所で描かれる動植物は色やタッチが美しく、対して終盤に登場するB29は妙にギラギラしていて存在の異様さが際立っていた。

※これ以降は物語の内容に触れますので、ネタバレを気にする方は読まないでください※

物語についていえば、予告映像で私が感じた「ヘテロラブロマンスを匂わせる子どもの友情」は、全く無いわけではないのだが、あくまで作品の一部であり全面に押し出されているわけではない。
子どもの視点で戦争を描いた反戦映画だ。
それゆえ気になっていたキャラデザも、むしろ生き生きとした生命感や子どもの純粋の表現に感じた。

私が子どもの頃に観てきた戦争関連の映像(創作も含め)は、空襲のシーンなど直接的に戦闘を想起させるものが多かったように感じるが、この作品はあまり残酷なシーンは無い。
いや、「無い」は適切な表現ではないか。
作り手の「どうだ、戦争とは残酷だろう」みたいな意図が見えるシーンが無いというか、直接的な表現や説明は避けられている。
例えば、駅員のおじさんがある日、女性に代わっているシーン。
トットちゃんも「あれ?」という表情をするのだが、なぜ女性に代わったのかの説明などは一切ない。
太平洋戦争の開始とその戦況が悪くなっていくにつれて社会がどんなふうに変わっていくのかを、鑑賞者も追体験する形で知らされていく。
英語の看板を日本語に直した喫茶店、お金を入れても出てこないキャラメルの自販機、軒先に落ちている愛犬ロッキーの首輪、子どもたちの描く絵も戦争の絵に変わる。

戦争の表現で特に印象に残ったのは、同級生の泰明ちゃんの死に触れて、トットちゃんが駆け出していくシーン。
身近な人間の死をきっかけに、この社会にはすでに戦争による死や苦しみが溢れていること、そしてその死や苦しみは、それを引き起こしている戦争の熱狂によって見えなくされていること。
走る姿が、突然自分の前に立ち現れる現実に混乱する心情を感じさせる。
戦争をこんなふうに描けるのかと、演出力に脱帽した。

ラストシーンは、なんとなくフワっといい感じの表現を持ってきたようにも見えて、観た直後はどのように捉えていいのかわからなかった。
時間が経って感じたことは、黒柳徹子へのリスペクト。
チンドン屋の幻影は、苦しい状況の中でもトットちゃんの想像性が失われていないことを、幼い妹を抱く姿には、周囲の大人から受け取った愛を、他の人に分け与えられる優しさや愛情深さを表現していたのでは無いかと思う。
それは、テレビ女優第一号として長きに渡り日本のエンターテイメント界を牽引してきたこと、ユニセフ親善大使などの活動を通して、弱い立場の人たちに寄り添ってきたことなどに繋がっている。
また、そんなトットちゃんの姿を通して、困難な状況にあっても、その人が持つ価値は失われないというメッセージを込めたのでは無いか。

本作の企画が始まったのは2016年。制作は2019年に開始したそうだ。
その間には、ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルによるガザへの空爆などが起きた。
まさか、社会の変化によって、こんなにも作品の持つ意味が大きくなってしまうとは、製作陣も予想だにしなかっただろう。

甦るブーケトスへの怒り(路上通信vol.10より)

過去の出来事への怒りや悲しみが、突然沸いて来ることがある。
私は最近ブーケトスに対して、改めて怒りを感じている。

ご存じかと思うが、ブーケトスは結婚式の定番プログラムの一つである。
新婦が後ろ向きになって、独身女性に向けてブーケを投げる。そのブーケを受け取った人が次に結婚できるという趣旨のものだ。
由来については諸説あるとのことだが、14世紀イギリスから始まったとされている。
20代の頃、数回だが結婚式に参列し、そしてこのブーケトスに参加したことがある。
進んで参加したわけではない。致し方なく参加していた。

私は幼少の頃から結婚願望が無かった。一時期は「絶対にしたく無い」と思っていたくらいだ。
なのに独身女性というだけで、結婚願望があると見做されることが嫌だった。
ドラマやアニメのブーケトスのシーンもその気持ちを強くさせた。今では時代遅れと一蹴されそうだが、「結婚したくてしたくて堪らない女が、恥も外聞も捨てブーケに群がる」そんな描かれ方をすることが度々あった。
ブーケトスに参加する女たちは、まるで見せ物だ。
男性社会の中で、恋愛至上主義の中で、結婚して一人前という価値観の中で、その中で「普通」とされる人たちのための見せ物としての独身女性。
あまつさえ、私は結婚を望んでいないのに、「結婚をしたい女」として見せ物にされることの理不尽さが耐え難かった。

「そんなに嫌なら参加するなよ」と思われるかもしれないが、私にだって人並みの社会性がある。
友人の晴れの日に、晴れの場が白けたムードになるなんて、微塵も望んでいない。私自身が「ノリが悪い奴」扱いされる可能性もある。行くも帰るも地獄なのだ。(これはちょっと言いすぎた)

本稿を書くにあたって、ブーケトスに関して簡単に調べてみた。
結婚情報誌として誰もがその存在を知る「ゼクシィ」の調査によると、未婚女性の半数以上がブーケトスの参加に抵抗があると答えている。
私だけでは無かったのだ。

そのようなこともあって、現在では、未婚に限らない、女性に限らない、ブーケではなくお菓子を投げる…などなど、ブーケトスの形も変化しているらしい。
新郎新婦は少しでも参加者に楽しんでほしいと、式のプログラムを四苦八苦して考えている。そして、式場もそれに応えるプログラムを考えて提供する。
私を苦しめたブーケトスも、本当はシンプルな「楽しんでほしい」という気持ちからであったはずだ。
こうやって書くことで怒りもぶちまけたし、色々知ることで、私のブーケトスへの怒りが昇華されていくようにも感じる。

あ、でも、ある結婚式でブーケトスに抵抗感を示した私に「参加しろよ」と言ってきた男。
おまえのことは許さない。
当時の私には言えなかった「テメェが参加すれば?」という言葉を、時を超えて心の中でぶつけてやる。

叔母と食パンと私(路上通信vol.5より)

小学1年生の時、初めて会った叔母が、食パン​は冷凍保存できると教えてくれた。

叔母とは、父の姉である。当時の年齢は分からないが、40代だったのでは無いかと思う。叔母は当時のその年代の女性にはめずらしく独身で、寝たきりの祖母(叔母にとっては母親)と2人暮らしだった。

私は、埼玉県内の住宅地にあるマンションで育った。
マンションの住民のほとんどは、働く父・主婦の母・子ども2名以上の核家族で、極めて均質性の高い環境だったと思う。そんな私にとって、独身の中年女性と、寝たきりの老人の2人暮らしは、今まで見たことのない、珍しいものに映った。
家は古めの平家で、小さく見えたが2人暮らしには充分な広さだったと思う。家の中は散らかってはいなかったが、物が多く、そこでの暮らしが長く続いていることを物語っていた。
叔母は年齢こそ母と近かったが、化粧品のセールスをしていたこともあってか、専業主婦である母や近所のお母さんたちと雰囲気が違った。派手というほどでは無いがクッキリと化粧をしていて、ハリのある声でハキハキと喋る溌剌とした印象の人だった。

その叔母が、食パンは冷凍できると教えてくれた。当時は今ほど家庭に「冷凍ハック」的なものが普及していなかったと思う。私たち家族にとっては軽い発見で、母も感心して話を聞いているように見えた。

しかしその後、その冷凍ハックは我が家では活用されなかった。理由は単純で、5人家族の我が家では、食パンを冷凍する必要がなかったからだ。

現在、1人暮らしの私の冷凍庫には、いつも食パンがある。1袋、6枚や8枚の食パンを、私は冷凍せずに食べ切れたことが無い。私の実家で活用されなかった叔母の冷凍ハックは、1人暮らしの私の食生活を助けてくれている。
今でこそ、中年以上の独身女性は多いが、当時の叔母は、相当肩身の狭い思いをしていたのではないか。1人暮らしの不安、母親の介護という重荷。あの家で、毎朝どんな気持ちで冷凍の食パンを食べていたのだろうか。

私たちの訪問のあと、少しして祖母は他界した。おそらく、大人たちに​はそうなることがわかっていたのだと思う。
祖母の死後、数年経って叔母は結婚し、そしてその数年後離婚した。
もしかしたら、叔母の家の冷蔵庫には今でも食パンが入っているのかもしれない。

ちなみに、叔母は食パンを1枚1枚ラップで包んで冷凍していたが、私は買ってきた袋のまま冷凍庫に突っ込んでいる。叔母のやり方とは違うけど、特に問題は無い。